佐野赤絵 その2「吹屋弁柄」を活かした佐野赤絵
江戸末期に京焼の青木木米が金沢の春日山窯で呉須赤絵写しを制作するため「赤色」顔料の「吹屋弁柄」を加賀に持ち込み、それ以降、再興九谷の諸窯で「赤色」を多用する九谷焼が焼かれ、民山窯、佐野窯、少し遅れて宮本屋窯などで赤九谷がほぼ同じころに制作されました。
おそらく、まだまだ高価であった「吹屋弁柄」を主原料として造られた「赤色」の絵の具を使って、ベタ塗りされた陶片を燃える窯の中に突っ込み、発色や焼成温度などを見定め、また“切れのある”線描”の出来映えが、繰り返し確認されたと想像されます。こうして「佐野赤絵」や「八郎手」が誕生し、それぞれの手法が明治期に門人らによって受け継がれていき「九谷赤絵」に発展しました。ここでは「佐野赤絵」を見てみます。(参照;「八郎手」を知る)
斉田伊三郎が「佐野赤絵」の技法を確立して行くと、伊三郎の門人たち、寺井や金沢の多くの陶画工は工夫を凝らし「赤色」の明度・彩度・色相を変えて独自の「赤色」を創り出していきました。彼らは擦り作業、燃焼温度の調整、他の絵の具の配合など手を加えて“黄赤色”から“鮮やかな「赤色」そして“赤褐色”まで微妙に異なる「赤色」を創り出したとみられます。残念ながら、「吹屋弁柄」による鮮やかな「赤色」も50年も経つと酸化するといわれ制作当時の「赤色」がやや黒ずむと考えられるので、現在、目にする当時の「吹屋弁柄」による「赤色」は当時のそのままの色相でないおそれがあることを頭に入れて観る必要があります。
「吹屋弁柄」の線で描かれた図案

斉田伊三郎は当初より「吹屋弁柄」で細く盛り上がった線を目指したと見られます。この初期の作例である龍図では、龍の髭や鱗を線だけで描いていて、量感や形を「赤色」の細描で表現しました。「佐野赤絵」の原点のように見えます。

この網の手の鉢も佐野赤絵によく見られます。底のところを出発点に細い線を段々に太くしながら、縁までのぼる線や曲線などで、あたかも網であるように描かれています。網の手は斉田伊三郎から門人の道本七郎右衛門、初代 橋田与三郎、亀田山月に伝授されましたが、あまりに高度の技巧を要したので、彼らの二代目で終わったようです。ちなみに、八郎手にも作例はありますが、極めて部分的で作例も少ないようです。

水墨画のように、松葉は薄くベタ塗りにし枝は濃い線で描いています。一色の絵の具によってでも濃淡でによって松の全体像を、量感をもって表現しているようです。
「赤色」と「黒色」「緑色」「黄色」などとの調和
多くの明治期の赤九谷は「赤色」だけではなく、「赤色」を主調にしながら「黒色」を配色してバランスをとったと見られます。それは「赤色」の受け取り方が西欧においていろいろあることから “洗練”“落ち着き”“格調”を象徴する「黒色」を取り入れてバランスをとったとみられます。この配色の作例は綿野製の輸出品に多くの作例がみられました。

このほかにも「赤色」を主調としながらも「緑色」「黄色」などを配色している作品が初期の「佐野赤絵」にあります。これは、斉田伊三郎が京都で修業中に、水越輿三兵衛の工房や京友禅にある五彩(臙脂・藍・黄土・草くさ・古代紫)などで学び、初期作品に取り入れた色相とみられ「赤色」を主調とするも「緑色」「黄色」も取り入れたとみられます。

多くの明治期の赤九谷は「赤色」だけではなく、「赤色」を主調にしながら「黒色」を配色してバランスをとったと見られます。それは「赤色」の受け取り方が西欧においていろいろあることから “洗練”“落ち着き”“格調”を象徴する「黒色」を取り入れてバランスをとったとみられます。この配色の作例は綿野製の輸出品にも多くの作例がみられました。
「吹屋弁柄」で描かれた、盛り上がった“切れのある線”

古い「佐野赤絵」の多くは絵付されたところを触ると、絵の具の盛り上がりが感じられるものは少なく「佐野赤絵」の現代の名工 福島武山 氏が制作した画像の酒杯は1mm以下の細い線でも盛り上がりを感じられます。福島氏が「細かくても濃く盛り上がった、指先でも感じることができるような線が理想です」と述べられているとおり、氏の想いや情熱が現れた“盛り上がった線”で小紋を描いた作例であると思います。
いくつかの「佐野赤絵」と明治期の赤九谷を観ていると、多くの名工が「吹屋弁柄」の特性を知り尽くしそれを活かして線描で図案や文様を表わしたと思います。伊三郎はその技法を京都で修得したと考えられ、「佐野九谷」において完成させたたでなく、それを受け継いだ伊三郎の門人が技巧を発揮して作品を広めたことにより、寺井や金沢の九谷焼に大きな影響を及ぼしましたこともわかります。
「佐野赤絵」そのものは戦後一時廃れそうになりましたが、今にそれを受け継いだのが現代の名工と言われる 福島武山 氏です。福島氏は誰に師事するということもなく、自己研鑽によって「佐野赤絵」の技法を再興しました。氏の絵付作業を観ていると、ガラス板の上の「赤色」の絵の具に“すり“を何回か加え、絵の具を筆に含ませて筆先を整えてから、素地の上で筆を走らせ、それがいとも簡単そうに見えても「吹屋弁柄」を知り尽くしてこそ「佐野赤絵」を蘇らせた絵付ができると思われます。
資料 「道開と赤絵作品図録」(昭和51年 佐野陶祖神社奉賛会)
