九谷赤絵を生んだ「吹屋弁柄」

江戸時代の中頃まで、我が国では赤色顔料が稀少でその用途も限られ、次第に安くて大量の赤色顔料が求められていた中、輸入品の“べんがら”を真似て銑屑(堺の鉄鋼品製造から出た鉄のけずり屑など)を利用した鉄丹弁柄の製造が行われました。しかし、その弁柄は質・量ともに十分でなく、やがて「吹屋弁柄」に取って代わりました(参照;日本人にとっての「赤色」)。

「吹屋弁柄」は、備中国吹屋村(現、岡山県高梁市吹屋町)で製造され、その高い品質が評価されると、用途も拡がりました。その一つが陶磁器の赤色釉薬向けであり、京焼の奥田潁川によって呉須赤絵写しの絵付に用いられました。やがてその釉薬は青木木米によって金沢の春日山窯に伝わると、再興九谷の諸窯で赤色を多用する九谷焼が次々に制作され、明治時代に入ると“九谷赤絵”を特徴づける赤色釉薬として高く評価されました。

ここでは「吹屋弁柄」が開発されるまでの経緯と、“九谷赤絵”の様式美を造り出した「吹屋弁柄」の生い立ちとその特性について述べます。

吹屋弁柄が製造されるまでの経緯 

「吹屋弁柄」が開発された経緯は、備中国吹屋村の村人数人が近隣の吉岡銅山から出た“捨て石”(品質の劣る硫化鉄鉱)が雨に濡れて赤色に変色するのを見たことから始まりました。村人たちがもらい請けた“捨て石”から“赤色の粗顔料”を造り始め、細々と続けていたといわれます。やがて、元禄3年(1690)、大阪の銅商人の銅座(主宰者は住友家)によって吉岡銅山の本山鉱山が開坑されるに及び、良質な硫化鉄鉱が鉱脈の形で発見されたので、これを粗原料にして高品質な赤色顔料「吹屋弁柄」が造られるに至りました。

その製造を担当した職人が長門国(現在の下関市、萩市、長門市、美祢市などを含む)の住人で“滝の下緑青”に係わっていた原 弥八でした。大阪の銅座は、吉岡銅山の経営に参加する以前、早くから長門国の長登銅山(現、美祢市秋吉台付近 古くは奈良の大仏の建立のために銅が採掘されました)を経営していて、原 弥八が着色用の緑色顔料として世に知られた“滝の下緑青”の製造の職人でしたので、備中国吹屋村に呼び寄せました。原 弥八が“滝の下緑青”の製法(鉱物の塊を砕いて篩(ふるい)や水簸等を使って様々な粒径の粒子の顔料が造り出された)に詳しく、その製法を「べんがら」の製造に転用しました。

吹屋弁柄の製造工程

「べんがら」の製法は、磁硫鉄鉱を焼いて淡青色の緑ばん(左の画像;緑ばんの見本瓶)を造る工程から始まり、その工程では、硫化鉄鉱を30日間程大量の薪を燃やして焼くと、不純物をかなり除かれ、さらに精製作業によって、良質の“緑ばん”ができました。次の弁柄精製の工程では2回の釜焼(右の画像;焙焼後の弁柄)、3回の粉成し(粉砕)を繰り返し、水洗い(*1)を経て微細な粉末を選別し、最後の工程で“あく抜き”(*2)を100回ほど繰り返しました。これにより弁柄の微粒子が泥状の赤い水の中に浮いて弁柄が沈殿しなくなり、この泥状の水を干し板(箱状)に流し込み、天日干ししたものを篩(ふるい)にかけ製品に仕上げました。この一連の工程には経験を積んだ職人が配置され、微妙な調整作業がおこなわれ、正に、職人技によって微粒子の「吹屋弁柄」が造られました。

(*1)水簸;粗粉を水中に入れると,粗粉が先に沈むことを応用して、細・ 粗を分け,同時に砂・石灰石・酸化鉄などの夾雑物を除去する。鉱物から顔料を作ること、窯業原料の陶土の品質向上のために広く用いられている

(*2)あく抜き;ここでいう「あく」とは硫黄分を含むガスのことで、泥状の弁柄に溶けている「硫気」を指す。これが残ったまま、弁柄を塗り焼くと、塗布面に悪影響を及ぼすと考えられている。

江戸中期から末期にかけ「吹屋弁柄」の初歩的な製造技術ができ上がり、改良を繰り返して明治中頃になって、下図のような工程が確立しました。“緑ばん”と「吹屋弁柄」の製造技術が確立されたことで、その後、需要増に伴い生産規模を徐々に大きくして、その伝統的な製造は1960年代まで続きました。

「吹屋弁柄」の用途の拡がり

質・量ともに具わった「吹屋弁柄」は、先ず、織物の下地染め、家屋の防腐塗料、瓦の着色向けに需要が増えました。そして、磁器の赤色釉薬にも向けられ、京焼の奥田潁川とその弟子たちに用いられ、さらに、加賀地方の再興九谷の諸窯に伝わると、その使用料がさらに増え、各地の産地にも広がりました。

『大地の赤 ベンガラ異空間』(資料*1)に掲載されている、明治22年(1889)の片山家(弁柄工場の最大手)の「用途・出荷地の資料」から見て、需要は広範囲でした。その頃、現在の岡山県備中高梁市成羽町吹屋には弁柄工場6軒とローハ工場3軒が操業し、それらが株仲間を組織し、「吹屋弁柄」あるいは「緑播(ローハ)」を製造販売した、と述べられ、明治・大正・昭和初年に至る200年の間、「吹屋弁柄」は長く独占的な繁栄を続けました。

用  途 製 品 ・ 使 用 場 所
 

 

塗 料

建物 吹屋、倉敷、内子、萩、祇園新町、産寧坂、妻籠宿、奈良井宿、高山、関宿
建具・道具 江戸指物、小木箪笥、庄内箪笥・船箪笥
漆器 輪島塗、山中塗、飛騨春慶塗、江戸漆器
船底・鉄橋 瀬戸内造船所
絵の具 陶磁器 九谷焼・有田焼(注)
繊維染料 下地染め 名古屋繊維産業、大阪工芸工業地帯
顔 料 インク・瓦 東京印刷用インク、赤漆喰壁、
石州赤瓦、塩田瓦

(注)有田焼;赤絵町の絵の具専門店が吹屋からローハを俵で仕入れ、自前で焼き、焼く時間と温度を変えて、独自の5種類の赤絵の具を製造しました

赤色釉薬に用いられた「吹屋弁柄」の特性

現代佐野赤絵の第一人者とされる、福島武山 氏は、現在もこの「吹屋弁柄」を用いて制作を続けています。氏がそれを用いて絵付した線について語っているところを抜粋すると「細かくても濃く盛り上がった、指先でも感じることができるような、線が理想です。しかし、これがなかなか難しい・・・」それでも「その細かさを徹底しています」。これは「吹屋弁柄」には優れた特性があって、それを活かすことには難しさがありながらも、理想とする赤絵細描画を描き続けることができている喜びをお話しされているように感じられます。「吹屋弁柄」には線描だけに適しているだけでなく、陶画工は「吹屋弁柄」を独自の調製方法を探し出して、後述するように、発色の赤色を“黄赤色”から“鮮やかな赤色”さらに“赤褐色”にまで微妙に変化させ、陶画工または窯の独自の赤色を創りだしました。中でも良く知られているのが「八郎手」の“血赤”です。

岡山大学の研究(*2)から得た科学的根拠によると、上図のように、素地の上に塗られた「吹屋弁柄」によってできた絵付層(ガラス層)の中で弁柄の微粒子が分散し、しかもその粒子径がナノレベルで揃っていることを突きとめ、その粒子の大きさと絵付層の厚さとが「赤色」の発色に影響していることを解明しました。「吹屋弁柄」の分析を行ったところ、磁器の素地に塗られた弁柄は、高温で焼成されたとき、弁柄に含まれる不純物の一つである極微量のアルミニュウムが弁柄の粒子を大きくなるのを抑え、その粒子径が変化しないことがわかりました。さらに、その粒子が小さい(標準的な粒子径100ナノ・メートル)ほど、鮮やかな黄赤色になり、逆に粒子が大きくなるほど「赤色」が濃くなることも解明され、また、粒子を含む絵付層が厚い場合、濃い赤色に発色することもわかりました。

さらに、別の研究(*3)によって「吹屋弁柄」の線描では「細かくても濃く盛り上がった」線を描くことができることが解明されました。「吹屋弁柄」のような粒子の細かい顔料では絵付層の中で粒子が浮くという性質によって高い隠ぺい力をもつ弁柄で引かれた細い線でも“切れ味”が出ることがわかりました。それは層の中の弁柄の高い隠ぺい力によって下地の色から影響をほとんど受けず、弁柄自体が下の色をおおい隠してしまうため、弁柄の色彩がより鮮明となると解明されました。しかも、この隠ぺい力には、弁柄の粒子径と関係していてその力が70~100nm(ナノ・メートル)で急激に増加し、100~200nmで最大となり、それ以上の粒子径になると、ゆるやかに減少していくことわかりました。こうして、岡山大学の研究と合わせて考え合わせてみると、粒子径100nmの「吹屋弁柄」が鮮やかに発色し、“決まった線”を引けることがわかりました。

この特性を活かして線描による絵付手法による宮本屋窯の「八郎手」は、究極の九谷赤絵細であると高く評価されています。「八郎手」の線には太い・細い・長い・短い・鋭い・柔らかい・かすれ”など様々な線があり、硬軟・丸味までを上手く表現しているようです。さらに一気に引いた線は見る者に軽妙さを感じさせ、短い線は一本の線に太細をつけずに、段々に線幅をほんの少しずつ変え、あるいは間隔を変えて、濃淡までも表現しています。正に「吹屋弁柄」は磁器における“線画”を引出させる特性が持ち合わせていると考えます。(詳細;「八郎手」に見る線描の絵付手法

 

このように「吹屋弁柄」が長く用いられ続けた理由は、その品質が優れ、用途に応じていろいろなグレードの製品が大量に供給できたからと考えられます。また製品価格についても、年代が不明ですが、片山家に残る、66銘柄の値段表を見ると、百匁あたり1円から2銭の価格幅があり、特に、磁器用などに向けられた最高級品の価格が、明治28年(1895)に米1升(約1.5㎏)が10銭であったころ、磁器用は百匁(375グラム)入り1袋で60銭であったとされます。江戸末期から明治以降の九谷赤絵には、以上のような特性の高い磁器用の「べんがら」が用いて独自の赤色を発色した磁器が多く見られ、それらは鑑賞に値すると考えます。

資料

1「大地の赤 ベンガラ異空間」(INAXライブミュージアム)

2「伝統顔料の赤に挑む」(岡山大学 高田潤 浅岡裕史)

3「顔料の粒子形態と光学的性質」(工業技術院大阪工業技術試験所 信岡聰一郎)

4「ふきやの話」(長尾隆)

5「吹屋愁景」(緑川洋一)

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