特異な加飾 構図・図案・幾何学的文様・窓枠・血赤
「八郎手」に見るもう一つの特徴はその特異な加飾方法に見られます。江戸時代、江沼地方では、花鳥図、山水図などを総絵的に九谷五彩で加飾された「古九谷」と「吉田屋」の後に誕生した「八郎手」では、赤色釉薬で線描された図案、幾何学的文様などで器一面に加飾されました。この加飾方法は主工の飯田屋八郎右衛門(以下、八郎という)によって考え出された、宮本屋窯のほかの陶画工も追従したので、他に類例を見ない特異な方法でした。
『八郎墨譜』の果たした役割

八郎が「八郎手」の加飾方法を記(しる)した『八郎墨譜』の各頁(本文全54頁)には、完成品そのものを平面的に展開した構図(上の画像のとおり)、窓枠だけとその外周の文様を記した構図などのほか、図案の入った窓枠、多種多様な幾何学的文様などが記されています。宮本屋窯の陶画工はこの「墨譜」から自身の作品の構図、図案のための窓枠、図案の周りを描き埋める幾何学的文様などを参照したと思われます。宮本屋窯ではこうした方法を取り入れたので、陶画工個々の独創性が発揮された一方で、「八郎手」の画風から醸し出される高尚さが保たれ続けたと考えられます。
構図の取り方

「八郎手」では、窓枠に入った、主題となる図案を見込み(通常、鉢、皿などの内側の中央部分を指す)に配する作品が広く見られる一方で、作品が置かれた状態で鑑賞され、あるいは手に取って鑑賞されることも考慮して、内の側面や外の側面にも窓枠に入った主題の図案が配されている作品もあります。そのほか、器形を意識した構図もあり、角皿では四隅や辺を意識した構図や、上の画像のように、瓶、徳利、急須などでは、器の丸味や高さを活かし、胴回りに図案が展開される構図が取られています。ほかにも、組み合わせて初めて主題を意味する図案が内側と外側に繋がりをもたせた構図や、あるいは対比させた構図の取り方があります。このように「八郎手」は中央に見込みを配する構図だけでなく、器体のどこかに主題の図案が置かれるといった、多様な構図が見せてくれます。
高尚な図案による加飾
八郎は、中国・明時代の“古墨”の造型図案を載せた『方氏墨譜』から多くの祖型を得て、主題となる図案を赤色釉薬によって精緻な線描で美しく絵付しました。八郎は、知識人らの影響を受けて『墨譜』の造型図案の中から主題となる図案から祖型を得て、古代中国の神獣、仙人、故事、天門思想などを図案化したことから、「八郎手」の作品には高尚さが感じ取られる作品が多く、さらに、八郎の美意識に基づいた画風をもって加飾されました。(参照;八郎手の画風)
窓枠による図案の加飾
左の画像は「宮本屋窯 龍九子図鍔縁平鉢」(口径30.7㎝)であり、右の画像は『墨譜』第一巻 龍九子図(国会図書館蔵 縦32cm)です。平鉢の見込みの「龍九子図」と原図の中央の「龍九子図」と見比べると、平鉢の方がやや縮小されたように見えます。それは高尚な画風を醸し出すために、線描される主題の図案の見た印象と原図のそれとが乖離するのを避けるためであったと考えられます。主題の図案の線描の密度も粗くせず、原図と同等の細密度を保持し、かつ、平鉢中央に配された「龍九子図」を縦横の3分の1ほどの大きさで描こうとした意識が働いたと見られます。八郎はまるで3分割法に従って配置したようで、全体にバランスが取れて、ここでも鑑賞者の眼を引くように創意工夫を凝らしたと思われます。
ただ、八郎は、それだけでは十分な加飾だと納得せず、さらに、広い器面の一部を切り取り、鑑賞者が主題の図案に視線が向くようにしました。それが窓枠であり、図案そのものを際立たせるための加飾として、幾何学的文様で描き埋めた帯状の窓枠で囲み、さらに、二重、三重の窓枠を設け、あるいは窓枠と縁の間にも幾何学的文様や小紋などで描き埋めました。窓枠とその外周の小紋や幾何学的文様と組み合わして、どこまでが窓枠であるかわからないほど、図案と窓枠とが一体に見えるように加飾が施されています。加えて、窓枠の形について概観すると、その形は、基本的には『方氏墨譜』の造形図案からイメージしたと思われる、円形、方形が多く、ほかには八稜形、六稜形、如意頭形、あるいは吉田屋窯と同じ形の窓枠に似せたも窓枠もあります。
墨の原型(造型図案)に倣った円形・方形

器形に合わせた窓枠

六芒星の形・三角形の窓枠

上の画のように、六芒星の形や三角形などを想定し、その中心に主題の図案が描かれています。やはり、観る側にバランス感や安定感を与え、主題の図案を際立たせる効果があります。
瓶や徳利の窓枠

球面の大瓶、徳利などについても、上の画像のように、球面の上下に幾何学的文様で区分けされた間に図案を連続的に展開した作品や、徳利などには面毎に窓枠を設け、それぞれ図案や文様で描き埋められた作品もあります。
幾何学的文様で描き埋めた加飾
幾何学的文様は、一般的に、点・直線(縞、格子)・曲線(波形、らせん、渦巻き)・面(円形、三角形、四角形、菱型)などの幾何学的な図形を組み合わせて構成されます。『八郎墨譜』を見ると、多種多様な文様が繰り返し並べられ、あるいは幾何学的な図形を反転させ、あるいは回転させるなどの操作によって合成された幾何学的文様があります。「吉田屋」では塗埋手という絵付の技法を用いて、表面や裏面を黄や青(緑)の絵の具で塗り尽くして加飾されたのに対し、「八郎手」では、線描された図案と調和する幾何学的文様を選んで、配置することによっては驚くほど奥の深い表現がなされ、文様だけでも存在感があるように見えます。また、同じ形を繰り返すだけでのシンプルな加飾だけでなく、他の幾何学的文様と簡単に自在に組み合わせて加飾されるのを見ると、無限の展開ができるように思えてきます。正に、主題の図案を際立たせる加飾方法の一つであったと考えられます。
血赤の線描による加飾
江沼地方で誕生した「古九谷」「吉田屋」は、九谷五彩のうちの緑・黄・紫・紺青(赤は僅かしか使われず)を厚く盛り上げて、透明感のある山水図、花鳥図などを総絵的に描いたのに対し、その後の「八郎手」は赤を主にして他の九谷五彩を従にする釉薬を用いて、図案や文様を線描で器面一杯に描きました。それは八郎が『方氏墨譜』に載った墨摺りの版画を祖型にしたことに関係があると考えられます。八郎は、版画が墨の単一彩で描かれていたのを見て、線描に適した“べんがら”の単一彩で加飾する方法を考え出しました。加えて、高尚な造型図案を線描するのであれば、“八郎手の赤色”も“品格ある赤色”でなくてはならないと“八郎手の赤色”を創意工夫したと思われます。八郎は、豆腐屋市兵衛のところで修業したとき、“べんがら”が柿渋(未熟な渋柿から抽出した液体でタンニンを多く含む)で調色されて用いられていたことを見聞していたので、「八郎手」では“べんがら”にお茶(* ほうじ茶のお湯に極少量のタンニンを含む)を加えよく擦って“血赤”の赤色に仕上げましたと考えられます。この赤色には品格や深みが生み出す色合いであり、鮮やか過ぎず、そのために「八郎手」の作品は置かれたその場の空間(茶室や客間)に溶け込むようであったといわれています。
*大聖寺藩の茶 江戸時代、大聖寺藩では藩主や家臣の間で茶道が盛んで、藩内で茶葉の栽培がおこなわれたので、庶民の間で“棒ほうじ茶”(*)が自然と普及した。その棒茶は、商品にならなかった茎を再利用して造られた、ほうじ茶で、庶民の生活の中で拡がりました。
さらに、八郎は「血赤」を用いて描かれた図案と幾何学的文様のところどころに、緑・黄・紫・紺青などの色釉で彩りを添え「八郎手」に更なる深みを与えました。こうして、器体全体に散りばめられた、わずかな彩りによって“血赤”の「赤色」が引き立てられ、器体にアクセントやコンストラクトを穏やかに付けました。また、それらの色釉は、時に、発色において本来の五彩の色とは違う“不上がり”になる場合もあり、それが、かえって“血赤”の単彩で徹するよりも、落ち着いた雰囲気を醸し出し、鑑賞者を引きつけたといわれます。
