2025年11月14日 / 最終更新日時 : 2025年12月9日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 特異な加飾 構図・図案・幾何学的文様・窓枠・血赤 「八郎手」に見るもう一つの特徴はその特異な加飾方法に見られます。江戸時代、江沼地方では、花鳥図、山水図などを総絵的に九谷五彩で加飾された「古九谷」と「吉田屋」の後に誕生した「八郎手」では、赤色釉薬で線描された図案、幾何学 […]
2025年10月2日 / 最終更新日時 : 2025年10月3日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 九谷焼の上絵呉須 上絵呉須は、釉薬を掛けて焼成された素地の表面に図案の輪郭線、地文様などを描くときに用いられ、その輪郭線や地文様の上に上絵具によって絵付がおこなわれます。その後、絵付窯で焼成(800℃前後)することで、溶けたガラス質の絵の […]
2025年10月1日 / 最終更新日時 : 2025年11月30日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 「八郎手」に見る“線描”による絵付 宮本屋窯の陶画工 飯田屋八郎右衛門(以下、八郎という)は『方氏墨譜』(*1)から祖型を得て図案を“線描”(*2)で絵付する手法を生み出しました。この絵付手法は類例のない「八郎手」を特徴づけるもので、この手法が完成するまで […]
2025年5月31日 / 最終更新日時 : 2025年6月30日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 宮本屋窯の窯主、陶工、陶画工 九谷焼には春日山窯の呉須赤絵写しや若杉窯の加賀伊万里(伊万里風の色絵磁器)のように赤色で部分的に塗った製品がありましたが、ほぼ赤色だけで線描きした赤九谷(明治時代になって「九谷赤絵」と呼ばれた)が再興九谷のいくつかの窯で […]
2025年5月17日 / 最終更新日時 : 2025年10月28日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 江沼地方の焼き物文化 江戸初期に江沼地方で焼かれた古九谷は、九谷五彩という九谷焼特有の釉薬とその絵画的意匠に特徴があり、その後に続いた九谷焼の原型となりました。長い空白の後、江戸末期に再興された能美、金沢地方の九谷焼は磁器でしたが、江沼地方で […]
2025年4月15日 / 最終更新日時 : 2025年12月9日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 「八郎手」を知る 江戸時代の末期に、九谷五彩を誇る九谷焼において「八郎手」と称された、赤絵の絵付手法が誕生しました。その絵付手法は、宮本屋窯の陶画工 飯田屋八郎右衛門が、長い年月の研究の末に生み出した細描画の絵付手法で、今でも、その手法で […]
2024年5月3日 / 最終更新日時 : 2024年5月3日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 江沼地方の素地窯と陶工 江沼地方では、九谷古窯以来、多様な色絵磁器を焼いたのが大きな特徴で、それらは白磁に近い素地に絵付されました。江戸末期の松山窯、九谷本窯などで修業して技能の高かい陶工が素地窯を築いて素地を造りました。その代表といえるのが大 […]
2024年4月30日 / 最終更新日時 : 2024年4月30日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 産業九谷を支えた小松・能美地方の素地窯と陶工 明治期に九谷焼が殖産興業の主要産品として発展し始めたとき、必要だったものは良質で大量の素地でした。特に、明治初期において九谷焼の素地には大きな問題がありました。例えば、明治初期に廃窯した若杉窯、小野窯などでは素地の大量生 […]
2024年4月30日 / 最終更新日時 : 2024年4月30日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 金沢に設けられた素地窯と工業学校 金沢の卯辰山は“金沢九谷のメッカ”といわれたことがあり、そこには再興九谷の端緒となった春日山窯が開かれ、青木木米と助工の本多貞吉が素地窯を築きました。この窯が再び加賀藩士 武田民山によって開かれた民山窯の素地窯に生まれ変 […]
2024年4月30日 / 最終更新日時 : 2024年5月3日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 明治九谷を支えた素地窯と陶工 17世紀中頃に九谷古窯が築かれた当初は一時的に素地が焼かれたものの、素地造りの技術力が未熟であったため、素地を肥前からの移入に変えました。その後100年以上の中断をはさんで、江戸末期、再興九谷の諸窯で素地が焼かれましたが […]