2024年4月30日 / 最終更新日時 : 2024年4月30日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 金沢に設けられた素地窯と工業学校 金沢の卯辰山は“金沢九谷のメッカ”といわれたことがあり、そこには再興九谷の端緒となった春日山窯が開かれ、青木木米と助工の本多貞吉が素地窯を築きました。この窯が再び加賀藩士 武田民山によって開かれた民山窯の素地窯に生まれ変 […]
2024年4月30日 / 最終更新日時 : 2024年5月3日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 明治九谷を支えた素地窯と陶工 17世紀中頃に九谷古窯が築かれた当初は一時的に素地が焼かれたものの、素地造りの技術力が未熟であったため、素地を肥前からの移入に変えました。その後100年以上の中断をはさんで、江戸末期、再興九谷の諸窯で素地が焼かれましたが […]
2024年4月11日 / 最終更新日時 : 2026年1月6日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 再興九谷の素地 江沼地方 再興九谷の諸窯の中で、江沼地方での最初の窯元は吉田屋窯でした。100数十年前に九谷村の九谷古窯で古九谷を焼いた歴史の地でしたが、九谷焼を再興するのは難ししいことでした。“人に技術がついて行く”のとおり、本多貞吉が若杉窯に […]
2024年4月11日 / 最終更新日時 : 2024年4月11日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 再興九谷の素地 能美・小松地方 本多貞吉は、若杉窯に移ってからその素地窯の技術を確立し、また現在も原料として使われている良質の花坂陶石を発見しました。素地に染付した生活雑器を量産し加賀藩の殖産興業の基盤を築いたこと、門人の粟生屋源右衛門と清兵衛(後に養 […]
2024年4月11日 / 最終更新日時 : 2024年5月20日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 再興九谷の素地 金沢地方 再興九谷は青木木米と本多貞吉が金沢春日山に窯に築くことから始まり、その後、本多貞吉が若杉窯に移って九谷焼のための基礎的な陶法を築き多くの陶工を育てました。貞吉の没後、若杉窯で貞吉から陶法を教わった山上松次郎が春日山の民山 […]
2024年4月11日 / 最終更新日時 : 2024年4月20日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 古九谷の素地 主宰者 後藤才次郎 陶 工 田村権左衛門 陶画工 大聖寺藩士(数人) 古九谷は17世紀の中頃から18世紀にかけて大聖寺藩九谷村において焼かれた色絵磁器で、その素地造りは困難を極めました。藩主の命を受けた後藤才次郎 […]
2024年4月11日 / 最終更新日時 : 2024年4月30日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 九谷焼の素地 磁器における素地は肥前において長い歳月を費やしてその製法が確立しました。その理由は、白い素地を造るためには、素焼きした素地に合わせた透明釉をかけ、1200~1300℃で本焼きしても貫入が入らず、またガラス層が表面に融着さ […]
2024年3月23日 / 最終更新日時 : 2024年3月23日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 明治九谷の陶工と陶画工を支えた指導者 明治時代に石川県外からの技術者、日本画家などが九谷焼の製造における工業近代化、意匠・図案の質的向上などを図るため招聘されました。彼らは地元の陶工、陶画工のそれぞれの製作活動を指導し支えたことから、明治九谷はいち早く美術工 […]
2024年3月22日 / 最終更新日時 : 2024年5月20日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 明治九谷の陶画工 江沼地方の窯元・陶画工 江沼地方では、江戸末期に吉田屋窯、宮本屋窯、松山窯が開かれたことから、明治時代に入ってからも、いくつかの小規模な窯元が九谷焼を制作しました。能美地方が産業九谷の中心地として大量生産が行われたのと異なり、江沼地方では素地造 […]
2024年3月21日 / 最終更新日時 : 2024年3月21日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 明治九谷の陶工 江沼地方の窯元・陶工 江沼地方では、江戸末期に吉田屋窯、木崎窯、宮本屋窯、松山窯、九谷本窯が開かれたので、明治に入っても、その他の地方と異なり、素地造りから絵付まで行う生産体制を維持しました。再興九谷の諸窯で養成された陶工が独立して山代を中心 […]