2024年3月14日 / 最終更新日時 : 2024年3月14日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 明治九谷を売り捌いた陶器商人 欧米との交易経験のなかった日本でしたが、日本の交易は磁器の輸出に牽引されて大きく発展しました。特に、石川県出身の陶器商人は、欧米の嗜好をいち早く取り込んだ図案や器種を製作するように陶画工に依頼し、輸出九谷の販路を一気に拡 […]
2024年3月14日 / 最終更新日時 : 2024年3月23日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 明治九谷を築いた陶工・陶画工・指導者 “人に技術がついて行く”のとおり、明治時代に活躍した陶工と陶画工は、再興九谷の諸窯で培われた陶法をさらに発展させ、各人が独立して活躍しました。加えて、彼らを改良指導した指導者がおりました。 能美・小松地方の陶工 江戸末期 […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2025年9月24日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 佐野赤絵 その2「吹屋弁柄」を活かした佐野赤絵 江戸末期に京焼の青木木米が金沢の春日山窯で呉須赤絵写しを制作するため「赤色」顔料の「吹屋弁柄」を加賀に持ち込み、それ以降、再興九谷の諸窯で「赤色」を多用する九谷焼が焼かれ、民山窯、佐野窯、少し遅れて宮本屋窯などで赤九谷が […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2025年9月23日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 佐野赤絵 その1 赤絵の村 誕生 今も“佐野赤絵”と呼ばれる九谷焼が誕生した地は江戸末期に能美郡寺井村の一集落であった佐野の集落(現、石川県能美市佐野町)でした。明治時代に入ると、九谷焼といえば赤九谷といわれたほど、特に赤絵細描の九谷焼が高く評価されまし […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2025年9月24日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 「佐野赤絵」を知る 「赤色」は古くから神社仏閣のための塗料として使われてきましたが、江戸末期からは弁柄を主原料とする「赤色」を用いた陶磁器が京焼に現れるとともに、再興九谷にも伝播していき、やがて「民山焼」「佐野赤絵」「八郎手」などの”赤九谷 […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2025年10月13日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 九谷赤絵を生んだ「吹屋弁柄」 江戸時代の中頃まで、我が国では赤色顔料が稀少でその用途も限られ、次第に安くて大量の赤色顔料が求められていた中、輸入品の“べんがら”を真似て銑屑(堺の鉄鋼品製造から出た鉄のけずり屑など)を利用した鉄丹弁柄の製造が行われまし […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2025年12月31日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 「赤色」を多用した日本の陶磁器 我が国の古くからの陶磁器の中には「赤色」の際立つ色絵陶磁器があります。柿右衛門が中国磁器の五彩(白磁に赤・青・黄・緑・紫で絵付した色絵)に憧れ、やがてそれが“柿のような美しい赤色”を開発することとなり、仁清が色絵陶器に、 […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2025年12月31日 keen-takeo-4383 九谷焼を知る 日本人にとっての「赤色」とは 江戸末期に「赤色」の際立つ九谷焼(色絵や青手に対し「赤九谷」と呼ばれた)が次々に焼かれると、瞬く間に加賀中に広まりました。その様式美が高く評価され、明治中頃になると、「赤九谷」は“九谷赤絵”と呼称される一つの様式に分類さ […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2024年5月20日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 明治九谷 明治11年(1878)に発表された『明治十年内国勧業博覧会報告』(「明治美術基礎資料集」の中に収められている)には、他の磁器産地に見られない、九谷焼が抱えていた課題が簡潔に記せられています。『九谷の磁器に二つの美あり 二 […]
2024年2月29日 / 最終更新日時 : 2024年3月21日 keen-takeo-4383 九谷焼を解説する 木崎窯 天保2年(1831)~明治28年(1895) 窯の盛衰 木崎窯は、天保2年(1831)、木崎卜什によって開かれました。卜什は京都に出て絵画を学び、有田で陶画を学んだ後、帰郷して、当初は山代新村(にむら)自宅内に築きました […]